第106回 「早慶上理 徹底研究⑦」
みなさん!こんにちは!!このところ早慶上理徹底研究と銘打って特集させていただいておりますが、これまで早稲田と慶應に関するトピックスばかりでした。今回はミッション系最難関大学の上智大学を特集したいと思います。今や押しも押されぬ地位を築いた上智大学の栄枯盛衰を、NAVERまとめの記事から探っていきたいと思います。
⇒ミッション系最難関大学の上智大学の栄枯盛衰まとめ
受験界では、「早慶上智」と言われ、私大最難関クラスにあるカトリック系の大学。戦後に難関となり、80年代~90年代に絶頂期を迎え、00年代から低迷して現在に至る上智大学のまとめ。
上智大学とは
1913年に設立されたカトリック系の総合大学。
住所は東京都千代田区紀尾井町で、JR四ツ谷駅の目の前という好立地に位置している。
2015年現在、文学部、総合人間科学部、法学部、経済学部、外国語学部、総合グローバル学部、国際教養学部、理工学部を有している。
設立母体であるイエズス会の影響で、国際系に強みを持つ。
戦後~70年代にかけて
戦後、GHQの兵士や子弟の高等教育機関として扱われ、国際部を設置。
1955年 のちに看板学部となる外国語学部を設置。
1957年 女子の入学を許可
→ 文学部と外国語学部の学生数が多かったため、ここから徐々に「女高男低」のイメージがついていく。
当時、他大学にあまりなかった国際性、都心の一等地に4年間通学、少人数教育といった点が評価されて難化していく。
1960年代後半には学生紛争が勃発するも、当時のヨゼフ・ピタウ理事長の英断により、早期に鎮圧して終結させた。他の大学では1970年代まで紛争が続き、東大では入試が中止となったり、その他難関大学でも長期休講が起きたりしていたため、早期に平穏を取り戻していた上智はさらに人気を集め、「女東大」とも言われていた。
1970年代に入ると、上智は入試難易度や入試問題の難しさから三大予備校で「早慶上智」と呼ばれるようになっていった。
80~90年代初頭 バブル景気で人気がピークに
1980年代~1990年代初頭はバブル景気もあって私立大学の人気が高まり、上智の難易度はピークを迎えた。「東大に受かったが、上智法には落ちた」「東京外国語大学を蹴って上智外国語に来た」という学生も多く見られた。
1991年の代ゼミ偏差値(法、政治系)
国際関係法学科が早稲田大学政治経済学部政治学科と並び、私大最難関に
1991年の代ゼミ偏差値
文学部(哲64 史66 国文64 英文67 ドイツ文66 フランス文65 新聞67 教育63 心理65 社会65 社会福祉63)
法学部(法律68 国際関係法69)
経済学部(経済65 経営67)
外国語学部(英語67 ドイツ語67 フランス語66 イスパニア語67 ロシア語66 ポルトガル語64)
理工学部(機械工63 電気電子工64 物理66 数学64 化学63)
法学部国際関係法学科と外国語学部英語学科が二大看板学科だった
90年代後半 不況と少子化の加速により人気に陰り
90年代にバブルが崩壊すると、私大人気は陰り始め、国立志向が強まり出す。私立では、経済界に圧倒的な影響力を持つ慶應義塾大学の1強となり、現在までこの状態が続いている。
上智は看板である外国語学部と法学部が人気を維持し続けるも、比較的就職に弱い文学部から徐々に人気を落とし始めていた。
一方で、心理学ブームが起きていた90年代後半に文学部心理学科が志願者1592人、実質倍率29.4倍という異常な人気となっていた。
大学改革の出遅れと人気の低下
00年代に入ると少子化は深刻化し、私立大学の大学改革を加速させた。
立教大学では全学部入試やセンター利用入試を導入して志願者数を大きく増やすことに成功。
早稲田大学では夜間学部を廃止して新学部を設立、また国際系学部も新設した。
主要な私立大学のほとんどがあの手この手で大学改革を加速させる中、上智大学は当初、「大学改革はその場しのぎに過ぎないため否定的」とし、積極的な改革はあまり行わず、従来の方法を貫く方針をとった。
その結果、人気は落ちていき志願者数も大きく減らすこととなった。
1998年 25,882人
1999年 25,609人
2000年 24,527人
2001年 24,504人
2002年 26,482人
2003年 23,852人
2004年 22,204人
2005年 21,395人
早稲田大学国際教養学部の誕生と外国語学部の没落
00年代に入っても、他大学にない国際性を持っている外国語学部の優位は変わらず、早稲田大学第一文学部や慶應義塾大学文学部と並ぶ人気を誇っていた。しかし、2004年に大きな転機を迎える。
早稲田大学に初の国際系学部である「国際教養学部」が誕生した。
早稲田大学国際教養学部(通称:SILS)は、ほぼ全て英語で講義を行い、1年間の留学義務が課される本格的な国際系学部である。
これにより、上智の持っていた国際性という優位性はほぼ失われてしまった。初年度こそ偏差値で同ランク、W合格対決で上智が勝利するも、数年のうちにひっくり返され、外国語学部は後塵を拝することとなった。
2007年の代ゼミ偏差値
65 早稲田国際教養、ICU教養(国際)
64 早稲田文、慶應文
63 ICU教養(語学)、上智外語(英語)、上智外語(フランス語)、上智外語(ロシア語) 早稲田文構、立命館国際
62 津田塾学芸(国際)、ICU教養(人文)、上智外語(ドイツ語)、上智外語(イスパニア)、上智外語(ポルトガル語)、南山外語(英米)
その後、明治、青学、立教、法政、関西、関学、同志社等の主要大学で相次いで国際系学部が誕生し、国際系学部は何ら珍しいものでもなくなった。
新司法試験の失敗と法学部の凋落
2006年より新司法試験が開始され、それまで数%の狭き門だった弁護士資格が数十%に大幅拡大され、誰でも弁護士になれる時代となった。しかし、上智の法科大学院は新司法試験開始から数年の間、平均をはるかに下回る合格率を出し、全く振るわなかった(現在は平均を上回る程度に改善されたが、それでも決して良い結果とは言えない水準にある)。
このことが、凋落傾向にあった法学部に拍車をかけることとなり、志願者数は現在に至るまで減少し続けている。
学科別試験における法学部の志願者数
1997年 8,478人
1998年 7,403人
1999年 7,396人
2000年 7,118人
2001年 6,535人
2002年 7,511人
2003年 6,938人
2004年 6,210人
2005年 5,579人
2006年 5,883人
2007年 5,747人
2008年 5,081人
2009年 5,349人
2010年 4,104人
2011年 4,239人
2012年 4,415人
2013年 4,752人
2014年 4,425人
2015年 3,300人(TEAP方式で1525人)
※ただし、合格者激増に伴う弁護士資格のディスカウントにより、法学部そのものの人気がなくなってきている点は考慮されるべきである。
大学改革へ
00年代中頃から、とうとう上智も大学改革に動き出した。以下はその一部である。
2005年 文学部の教育学科、心理学科、社会学科、社会福祉学科を総合人間科学部に改組
2006年 比較文化学部を国際教養学部に改組
2006年 英語学科を除く外国語学部の二次試験を廃止
2008年 理工学部を5学科(機械工、電電、数、物理、化学)から3学科(物質生命理工、機能創造理工、情報理工)に改組
2009年 教育学科の二次試験を廃止
2010年 文学部で二次試験を廃止し、学科試問を加える
2011年 聖母大学を吸収合併し、看護学科を新設
2012年 教育学科のB方式を廃止
2012年 社会福祉学科をA方式とB方式に分け、A方式から二次試験を廃止
2012年 社会学科の学科試問を廃止
2012年 入学定員を2割増
2014年 総合グローバル学部を新設
2014年 英文学科、ドイツ文学科、フランス文学科の学科試問を廃止
2015年 TEAP利用型入試を全学部統一で実施
2015年 Web出願を開始
この中で特筆すべきはTEAPだろう。
TEAPは英検と共同で完成させた新英語試験であり、21世紀の新しい入試の先駆けとなる可能性がある。上智が英語教育において再び他大学をリードする起死回生の切り札でもある。
この他、近年は他大学との協定や統合にも積極的である。
・聖母大学の吸収合併
・六甲学院、栄光学園、広島学院、上智福岡の各校を上智学院に統合
・聖マリアンナ医科大学との包括協定
・ジョージタウン大学大学院、フォーダム大学大学院への特別進学制度開設
2015年度の志願者数が過去最多に
上記の改革の結果、2005年以降大幅に志願者数が回復し、人気も再び高まり始めている。
1991年 31,105人(それまでの過去最多)
2005年 21,395人
2006年 23,809人
2007年 23,997人
2008年 23,796人
2009年 24,229人
2010年 24,531人
2011年 23,468人
2012年 26,169人
2013年 26,566人
2014年 28,523人
2015年 31,740人(TEAP方式9,106人を含む)
「TEAP利用型一般入試」と「学科別入試」の志願者合計は31,740人となり、18歳人口が減少する中で、過去最高の志願者数を記録しました。
2005年の代ゼミ偏差値
文学部(哲62 史63 国文62 英文63 ドイツ文62 フランス文62 新聞62)
総合人間科学部(教育63 心理65 社会64 社会福祉62)
法学部(法律65 国際関係法66 地球環境法65)
経済学部(経済61 経営63)
外国語学部(英語64 ドイツ語61 フランス語64 イスパニア語63 ロシア語60 ポルトガル語59)
理工学部(機械工60 電気電子工59 物理59 数学60 化学60)
2015年の代ゼミ偏差値(現在)
文学部64(哲62 史65 国文64 英文65 ドイツ文63 フランス文64 新聞63)
総合人間科学部63(教育63 心理63 社会65 社会福祉62 看護62)
法学部65(法律66 国際関係法66 地球環境法64)
経済学部64(経済64 経営64)
外国語学部64(英語65 ドイツ語64 フランス語64 イスパニア語63 ロシア語63 ポルトガル語62)
総合グローバル学部65
理工学部63(物質生命理工65 機能創造理工62 情報理工61)
いよいよソフィアタワーが完成!
医学部の設立も・・・?
公式HPによれば、上智の歴史はフランシスコ・ザビエルまで遡るとされている。そのフランシスコ・ザビエルは、「日本人の資質を高く評価し、日本の首都に神学部、法学部、医学部を含む総合大学を」という希望をローマ教皇に向けて送っていたとされ、これが今日の上智大学の起源である。
しかし現在、上智大学には神学部と法学部はあるものの、医学部はない。一方、公式では設立時の精神を受け継ぎ、総合大学として世界に並び立つことを掲げている。
上智大学理工学部創設 50周年記念誌
アルペ師は医学を専攻し、医学部卒業直前にイエズス会に入会している。だから理科系統にかなりの理解と知識をもっておられ、管区長になってからは、外国語学部、法学部、神学部の新設のほか、上智に医学部を設立することまで検討されたほどである。小生が理事長に就任した直後(1957年)、アルペ管区長の斡旋で東横病院長明石医学博士と、上智に医学部が設立されたら東横病院を上智医学部付属病院にしてはとの話合いがなされたこともあった。しかし、当時理工学部もないのにいささか無理な話であるとお流れになり、当面の課題は理工学部設立ということなった。
東横病院長明石医学博士は聖マリアンナ医科大学の設立者である。
他にも、秦野キャンパスの存在や聖母大学吸収合併による医療界への進出等も、医学部への布石である可能性がある。
現状、医学部へのハードルは非常に高いものがあるが、何が起こるかわからない世の中・・・上智大学医学部が誕生する日も近いかもしれない。